「元気ですか?」─その言葉に込められた本当の意味

元気ですか?ーその言葉の重み

「元気ですか?」

ある日突然、

誰かにそう言われた時、

私はどう答えたでしょうか。


きっと何も考えずに

「元気ですよ」と答えていたはずです。



元気があれば何でもできる──

確かにその通り。

アントニオ猪木さんの

名言として知られるこの言葉を、

私も何度となく聞いてきました。

でも、

言われなくても私は元気だった。

少なくとも、

そう思っていました。



……つい最近までは。

今日は、

私が「元気」という

言葉の重みを痛感し、

人生観が180度変わった

体験についてお話しします。



これは病気と向き合い、

命と向き合い、

そして自分自身と

向き合った記録です。



同じような経験をされている方、

健康に不安を抱えている方、



そして今は健康だと

感じている方すべてに、

何かを感じていただければ幸いです。


突然訪れた異変─脳梗塞の前触れ

突然の訪問者ー脳梗塞の前触れ

「まだいける」と思っていた日常


私は長年、

生活習慣病を抱えていました。

糖尿病、

高血圧、

脂質異常症──

いわゆる「三大生活習慣病」の

すべてを持っていたのです。

健康診断のたびに、

医師から注意を受けていました。

「食事に気をつけてください」

「運動してください」

「お酒は控えめに」。




毎回同じことを言われ、

毎回「わかりました」と答えながら、

実際にはほとんど

生活を変えていませんでした。


薬は毎日飲んでいました。

それだけで十分だと

思っていたのです。

薬を飲んでいるから大丈夫。

数値が多少高くても、

薬でコントロールできている。

そんな甘い考えでした。


仕事帰りには

居酒屋に立ち寄り、

まるで酒場放浪記の

主人公のような生活。



揚げ物、

塩辛いもの、

脂っこいもの──

体に悪いとわかっていながら、

美味しいものには

目がありませんでした。


「まだ大丈夫」

「まだいける」──

そんな根拠のない自信が、

私を支配していました。





50代、60代で倒れる人の

ニュースを見ても、

「自分はまだ若い」

「自分は違う」と、

どこか他人事のように

感じていたのです。


体からの警告サインを見逃していた


今思えば、

体は何度も

警告を発していました。


朝起きると、

体が重い。

疲れが取れない。

階段を上ると息切れがする。

たまに頭痛がする。

視界がぼやけることがある。

こうした症状は、

すべて体からのSOSでした。


しかし私は、

「歳のせい」

「疲れているだけ」

「睡眠不足」と、

すべて軽く考えていました。



病院に行くのが面倒だった、

というのもあります。




仕事が忙しい、

時間がない──

そんな言い訳ばかりしていました。


実は、

生活習慣病を抱える人の多くが、

同じような思考パターンに

陥っています。

自覚症状が少ない病気だからこそ、

危機感が薄れてしまうのです。

「サイレントキラー」と

呼ばれる所以です。


右腕が動かなくなった瞬間


その日は、

いつもと変わらない朝でした。

いつもより少し遅く起き、

朝食を取りながらテレビを見ていました。


突然、

コーヒーカップを持っていた右腕が

動かなくなったのです。


最初は、

腕が痺れているのかと思いました。

でも、

痺れの感覚はありません。

ただ、

動かない。



まるで腕が自分のものでは

なくなったような、

不思議な感覚でした。

痛みはまったくありませんでした。

これが私を油断させました。

痛みがないから大丈夫、

すぐに治る──

そう思ったのです。


体をひねって

腕を動かそうとしました。

うまくいきません。



もう一度試しました。

まだダメです。

何度も何度も繰り返して、

数回目でようやく腕が

動くようになりました。


カップを落とさずに済んで、

ホッとしました。

「変な寝方でもしたかな」

「ちょっと変な感じだったけど、

もう大丈夫」──

そう考えていました。


言葉が出なくなった恐怖


安心したのも束の間でした。

家族に「大丈夫?」と声をかけられて、

返事をしようとしたその時、

言葉が出てこなかったのです。

頭の中では、

はっきりと「大丈夫だよ」と

言いたいとわかっています。

どの言葉を使えばいいかも、

完璧にわかっています。



思考は完全にクリアでした。

しかし、

口から出てくるのは

「アー・ウー」という意味不明な音だけ。

まるで口と脳の回線が

切断されたような感覚です。


もう一度試しました。

「だ、い、じょう、ぶ」──一

文字ずつ、

必死に絞り出そうとしました。

でも、

うまく発音できません。

舌が思うように動かないのです。


この時初めて、

「これは普通じゃない」と

気づきました。

恐怖が込み上げてきました。

このまま言葉が話せなくなったらどうしよう。

仕事はどうなる。

家族とコ

ミュニケーションが取れなくなったら──

様々な不安が頭をよぎりました。


家族の顔を見ると、

明らかに動揺しています。

「救急車呼ぶよ!」という声が聞こえました。

私は首を振って

拒否しようとしましたが、

体がうまく動きませんでした。


救急搬送から入院、そして診断

救急隊員の迅速な対応


救急車が到着するまで、

わずか数分でした。

しかしその数分が、

とても長く感じられました。


救急隊員の方々は、

プロフェッショナルでした。

私の症状を素早く確認し、

「脳の可能性が高い」と判断。

すぐに脳外科のある

総合病院への搬送を決定しました。


救急車の中で、

血圧、

脈拍、

酸素飽和度などが

次々と測定されました。



救急隊員の方が、

私に何度も話しかけてきます。

「今日は何月何日ですか?」

「お名前を言えますか?」──

意識レベルを確認するための質問です。


頭の中では答えがわかっているのに、

言葉にできない。



これほど

もどかしいことはありませんでした。

私は必死に首を振ったり、

うなずいたりして、

意思疎通を図りました。


サイレンの音を聞きながら、

私は「これは夢じゃないか」と

何度も思いました。

昨日まで普通に生活していたのに、

なぜ自分が救急車に乗っているのか。

現実感がまったくありませんでした。


脳外科での緊急検査


病院に到着すると、

すぐに検査室へ運ばれました。

CTスキャン、

MRI、

血液検査──

次々と検査が行われます。

MRIの検査中、

あの独特の

「ガンガン」という大きな音の中で、

私は自分の人生を

振り返っていました。

もっと健康に気をつけるべきだった。

医師の言うことを聞くべきだった。

家族をもっと大切にすべきだった──

様々な後悔が頭をよぎりました。


検査が終わり、

医師から説明を受けました。

モニターに映し出された

脳の画像。

医師が指差す部分に、

白い影が見えました。


「脳梗塞です。

脳の血管が詰まって、

血流が悪くなっています。

この部分が言語を司る領域なので、

言葉が出にくくなっているのです」


脳梗塞──

その言葉を聞いた瞬間、

頭が真っ白になりました。

テレビや本で聞いたことはある病名。

でも、

まさか自分がなるとは

思っていませんでした。


「すぐに入院して治療を始めます。

幸い、

発症から時間があまり経っていないので、

早期治療で回復の可能性があります」


即入院が決まりました。

家族に連絡を取り、

入院の準備を進めることになりました。




言語障害が残っている状態で、

私はただうなずくことしか

できませんでした。


入院生活の始まり


脳外科の病棟に入院し、

治療が始まりました。



点滴、

投薬、

血液検査──

一日に何度も行われる医療処置。



病院のベッドで横になりながら、

私は自分の体に何が起きているのかを

理解しようとしていました。


入院して数日後、

言語聴覚士の先生による

リハビリが始まりました。




最初は、

簡単な単語の練習からです。

「あ、い、う、え、お」──

幼稚園児のような練習。

でも、それすらうまくできない自分に、

愕然としました。


心臓にも問題が発覚


脳梗塞の治療が進む中、

医師から新たな提案がありました。

「念のため、

心臓の検査もしておきましょう。

脳梗塞の原因として、

心臓由来の血栓も考えられます」


心臓の検査の結果、

予想外の事実が判明しました。

心臓血管専門病院への

転院が必要だと告げられたのです。


心臓血管専門病院での検査は、

さらに詳しいものでした。

心エコー、

冠動脈造影検査──

これまで受けたことのない検査ばかりです。


そして、

医師から告げられた診断。

それは、私の想像をはるかに超える

深刻なものでした。


「大動脈瘤があります。

しかも、血管全体がかなり傷んでいます。

大動脈瘤の切除と、

ボロボロになった血管の

人工血管ユニットへの交換が必要です」


大動脈瘤──

破裂すれば即死の可能性もある、

危険な病気。

そして人工血管への交換という大手術。


「そんなに悪かったんだ」

その言葉しか、

頭に浮かびませんでした。

脳梗塞だけでも大変なのに、

心臓まで。思考が止まりました。

こんな経験は、人生で初めてでした。

長年の生活習慣病の放置、

不摂生な生活──

そのツケが、

一気に回ってきたのです。


命をかけた手術への決断

手術と再起へ道のり

100%ではない成功率

医師から詳しい説明を受けました。

手術の内容、

リスク、

合併症の可能性──

すべてを聞かされました。


「この手術は、

簡単なものではありません。

大動脈という体の中で最も重要な

血管を扱う手術です。

成功率は100%ではありません」


医師の言葉は、

はっきりしていました。

曖昧な表現を避け、

リスクを正直に伝えてくれました。


「手術中の出血、

感染症、

人工血管の不適合、

術後の合併症──

様々なリスクがあります。

最悪の場合、

命に関わることもあります」


「しかし、

手術をしなければ、

大動脈瘤はいつ破裂するかわかりません。

時限爆弾を抱えているようなものです。

手術のリスクを取るか、

破裂のリスクを取るか──

選択していただく必要があります」


家族と相談する時間を与えられました。

病室で、家族と向き合いました。

言葉がうまく話せない私の代わりに、

家族が様々な質問を医師にしてくれました。


私は、

自分の不摂生が

家族にこんな苦しみを与えてしまったことを、

心から後悔しました。


決断の時


一晩、考えました。

いや、

正確には考えるまでもありませんでした。


手術をしなければ、

いつ倒れるかわからない。

家族と過ごす時間を、

常に不安の中で過ごすことになる。

それは、私にとっても家族にとっても、

耐えられないことです。



手術にはリスクがある。

でも、

何もしないリスクの方が大きい。

ならば、勝負に出るしかない。


翌朝、医師に告げました。

「手術を受けます!」


言語障害で言葉は不明瞭でしたが、

私の決意は医師に伝わりました。

医師は静かにうなずき、

「わかりました。

最善を尽くします」

と言ってくれました。


手術前夜


手術の前日、

様々な準備が行われました。

最終的な検査、

麻酔科医との面談、

手術の同意書への署名──

淡々と進んでいく準備が、

かえって現実感を増していきます。


夜、病室で一人になった時、

私は人生を振り返りました。

もっとやりたかったこと、

まだ見ぬ孫の顔、

行ってみたかった場所──

様々な思いが頭をよぎります。

「明日、目が覚めるだろうか」

そんな不安もありました。

でも、

不思議と恐怖はありませんでした。

やるべきことはやった。

あとは、医師と自分の体を

信じるしかない。

そう思えたのです。


家族が面会に来てくれました。

言葉はうまく話せませんでしたが、

手を握り合い、

視線を交わすだけで、

伝えたいことは伝わったと思います。


手術当日


手術当日の朝、

看護師さんが「準備できましたか?」と

声をかけてくれました。

私はうなずきました。


手術室へ向かう廊下、

天井の蛍光灯が次々と

視界を通り過ぎていきます。

ストレッチャーに乗せられて

運ばれながら、

私は不思議と冷静でした。


手術室に入ると、

多くの医療スタッフが

準備をしていました。

機械の音、

スタッフの声──

そのすべてが、

私のために動いている。

そう思うと、

感謝の気持ちでいっぱいになりました。


麻酔科医が

「数を数えてください」と言いました。

「1、2、3…」──

そこで意識が途切れました。


手術成功、そして長いリハビリの始まり


目が覚めた時、

看護師さんの顔が見えました。

「手術、成功しましたよ」──

その声が聞こえた瞬間、

安堵した自分がいました。


手術は予定より時間がかかったものの、

無事成功。

人工血管への交換も

問題なく行われたとのこと。

医療チームの技術力、

そして運にも恵まれたのだと思います。


しかし、

これで終わりではありませんでした。

術後の回復、

そして脳梗塞のリハビリ──

長い道のりが、ここから始まるのです。


ICUでの数日間を経て、

一般病棟に戻りました。

そして、

脳外科に再入院し、

本格的な治療と

言語療法のリハビリが始まりました。


通算2ヶ月の入院──

その間、毎日がリハビリとの戦いでした。



言語療法を主体でのリハビリでしたが、

あ~んを書く練習で、

「ま・み・む・め・も」が、

思い出せない、

かけない、

わからい、

当時は記憶がないんだな感じていました。



現在は大丈夫ですよ。


退院の日、

担当看護師さんが笑顔で言いました。

「もう戻ってきたらダメだよ」──

愛情のこもった、

最高の言葉でした。


言葉を取り戻す長い道のり

言語専門病院でのリハビリ


退院後、

言語専門病院に転院しました。

ここで、

さらに3ヶ月間の

リハビリを続けることになります。


言語聴覚士の先生との二人三脚。

言葉を一つ一つ、

本当に一つ一つ取り戻していく作業です。


転院先のここの病院は、

脳外科言語聴覚士先生の推薦でした。

希望する病院に転院紹介ができましたが、

言語聴覚士先生との面談で、

「言語ならこの先生がいる○○だよ」。



それで決定です。



最初は喉の使い方、

発生練習、

息の使い方、

最初はこれでいいの?疑問符?

後でわかりました、

合理的で納得するものでした。



先生は辛抱強く付き合ってくれました。

「焦らなくていいですよ」

「少しずつ、確実に進んでいます」──

その言葉に、どれだけ救われたかわかりません。


小さな進歩の積み重ね


リハビリを続ける中で、

少しずつ変化が現れました。

最初は

「あ」という音すらうまく出せなかったのが、

1週間後には「あいうえお」が

言えるようになりました。

2週間後には「おはよう」

「ありがとう」という

挨拶ができるようになりました。

1ヶ月後には、

短い文章が話せるようになりました。

「今日は天気がいいですね」──

そんな何気ない一言が話せた時、

私は心から嬉しかったです。


言葉が話せるということが、

これほど素晴らしいことだったとは。

健康な時には当たり前すぎて、

その価値に気づいていませんでした。


リハビリ仲間もできました。

同じように脳梗塞や脳出血で

言語障害を抱える人たち。

年齢も背景も様々ですが、

目標は同じ──

言葉を取り戻すこと。


お互いに励まし合い、

進歩を喜び合いました。




言語もそうですが、記憶が弱い。

院長先生の週1巡回時は大変、

「生年月日は」

「・・・・・・」

「奥さんの名前は」

「・・・・・・」

これ本当です、

奥さんの名前を間違える人、

以前私の「ま・み・む・め・も」です。



巡回後病室では笑い声です。



自宅療養の難しさ


3ヶ月のリハビリを経て、

2022年10月20日退院。

あとは自宅でのリハビリが中心になります。


しかし、

自宅療養は想像以上に難しいものでした。


病院では、

決められた時間にリハビリがあります。

先生がいて、

仲間がいて、

必然的に言葉を使う環境があります。


しかし自宅では、

話さなくても生活できてしまいます。

一人でいると、

無意識のうちに沈黙を選んでしまう。

なぜならば、

話さないでいる方が圧倒的に楽だからです。


言葉を話すには、

思った以上にエネルギーが必要です。




頭で考えて、

それを言葉にして、

口を動かして、

正しい発音をする──

健康な人には無意識にできることが、

私には大きな努力を要します。


一人でいると、

ついテレビを見たり、

スマホをいじったり、

ぼんやり過ごしてしまう。

これではリハビリになりません。

言葉を取り戻すには、

積極的に話す環境が

必要だと痛感しました。


家族に協力してもらい、

できるだけ会話をするように心がけました。

「今日はどうだった?」

「夕飯は何がいい?」──

日常的な会話を意識的に

増やしていきました。


現在の状態と今後の展望


現在も言語障害は残っています。

完全に元通り、

というわけにはいきません。


話すスピードは遅いです。

言葉を選ぶのに

時間がかかることもあります。



疲れてくると、

言葉が出にくくなることもあります。

でも、

少しずつ、確実に回復しています。


新たな目標─ブロガーとしての挑戦

新たな目標ーブロガーとしての挑戦

元気があれば何でもできる


元気な体に戻るには、

確かに時間がかかります。



でも、

「元気があれば何でもできる」──

これは真実です。

それを、

私の体が身をもって教えてくれました。


健康を失って初めて、

その価値に気づく。

ありふれた教訓かもしれません。

でも、これほど実感したことはありません。


朝、目が覚めること。

自分の足で歩けること。

自分の言葉で話せること。

食事が美味しく感じられること──

これらすべてが、

当たり前ではなく、

奇跡の連続なのです。



「迷わず行けよ、行けばわかるさ!」


アントニオ猪木さんの名言が、

今の私の支えになっています。


「迷わず行けよ、行けばわかるさ!」


考えすぎると、

前に進めなくなります。

完璧を求めると、

何も始められなくなります。




ならば、

まず一歩を踏み出してみよう。

やってみて、初めてわかることがある。


そう考えた時、

私は新しい挑戦を決意しました。

ブロガーになること。


なぜブログなのか


言語障害のリハビリとして、

文章を書くことは

最適だと考えました。


話すのが難しくても、

書くことはできます。

時間をかけて、

じっくり言葉を選ぶことができます。



そして何より、

書くことで自分の思いを伝えられます。


また、

同じような経験をしている人たちに、

何か伝えられることがあるのではないか──

そう考えました。


脳梗塞や心臓病で苦しんでいる人。

リハビリに励んでいる人。

健康に不安を抱えている人。

そうした人たちに、

私の経験が少しでも役立てば。

励みになれば。

そんな思いがあります。


三日坊主常習犯の決意


正直に言うと、

私は三日坊主の常習犯です。


ダイエットも、

運動も、

日記も──

様々なことを始めては、

すぐにやめてきました。

続けることが、

とても苦手なのです。


でも、

今回は違う。

そう思っています。


なぜなら、

これは単なる趣味ではなく、

リハビリの一環だから。




自分のためであり、

同じような境遇の人のためでもあるから。

そして何より、

命をかけた手術を乗り越えて得た、

新しい人生のスタートだから。


「その先の景色を見てみたい」


ブログを続けた先に、

どんな世界が広がっているのか。

どんな出会いがあるのか。

どんな変化が自分に訪れるのか。

それを見てみたいのです。


新たな目標に向かって、

コツコツ進んでいきます。



まとめ:「元気ですか?」の本当の意味

「元気ですか?」

元気は当たり前じゃない


「元気ですか?」


この何気ない挨拶の言葉には、

深い意味が込められていることを、

私は病気を通じて学びました。


元気は、

空気のように

当たり前にあるものではありません。



日々の生活習慣、

健康への意識、

そして何より「生きている」という

奇跡の上に成り立っているものです。


もしあなたが今、

何の不自由もなく体を動かせて、

言葉を話せて、

好きなものを食べられて、

自由に歩き回れるなら──

それは当たり前のことではなく、

とても幸せなことなのです。


生活習慣病の怖さ


私のように

生活習慣病を抱えている方、

またはその予備軍の方に、

強く伝えたいことがあります。


「まだ大丈夫」は、

危険な思考です。


生活習慣病は、

自覚症状が少ないまま静かに進行します。

そして、

ある日突然、

重大な合併症として現れます。




脳梗塞、

心筋梗塞、

大動脈瘤──

命に関わる病気です。


私は運良く

命を取り留めることができました。

でも、

多くの人がそうではありません。

突然倒れて、

そのまま帰らぬ人となる。

そういう現実があります。


医師の言うことを聞いてください。

定期的に検査を受けてください。

生活習慣を見直してください。



「面倒だ」

「時間がない」──

そんな言い訳をしている間に、

体は確実に蝕まれていきます。


皆さんも、

どうか健康を大切にしてください。

そして、

「元気ですか?」という言葉を

大切な人にかけてあげてください。




その一言が、

誰かの心を温めるかもしれません。

この記事は実体験に基づいて書いています。







「生活習慣病」が書かれた文献はこちら
(日本生活習慣病予防協会)


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