福寿草がくれた幸せなもの

福寿草がくれた幸せなもの

小学4年生の放課後


小学校4年生のころ、

私には近所に

仲の良い遊び仲間が

いました。

放課後や休日になると、

パッチ、

ビー玉、

釘指しといった

昭和の定番遊びに

夢中になる毎日。

いつも

一緒に遊んでいたのは、

○○ちゃん

(あだ名はマキ)と

シゲという

2人の友達でした。


特にシゲの家には

よく遊びに行っていて、

シゲのお母さんは

いつも私たちを温かく

迎えてくれました。

おやつを

いただくこともあれば、

時には

「食べていきなさい」と

夕食まで

ごちそうになることも。


子どもながらに、

とても居心地の良い

場所でした。


突然の知らせ

福寿草がくれた幸せなもの


ある日のこと、

シゲから

衝撃的な知らせを

聞きました。


「お母さんが

入院したんだ」

「なんで?」と私。

「よくわからない」

「どこの病院?」

「日赤だよ」

「長くなるの?」

「そうみたい」

「お母さん、元気?」

「うん、元気だよ」


いつも

お世話になっている

シゲのお母さんが

入院したと聞いて、

マキと私は

何かできること

はないかと考えました。


小学生ながら

少々大人びていた

私たちは、

お見舞いに

行くべきだという

結論に達しました。


お見舞いの悩み


「見舞いに

行った方がいいかな」

と私が言うと、

マキも「そうだよ」と

賛成してくれました。


しかし、

すぐに問題が浮上します。


「手ぶらで行くの?」

「それが困るよな」

小学生の私たちには

小遣いもなく、

デパートで「手土産」を

買うという発想は

ありませんでした。

何か

喜んでもらえるものを

持っていきたい。

でも、

お金はない。

どうしたものか…。


福寿草を探しに

マキのアイデア


悩んでいると、

マキが良いアイデアを

思いつきました。

「福寿草、

どうだろうか」

そういえば、

以前マキと一緒に

隣町まで山ワサビを

取りに行ったことが

ありました。

その時、

近くの山中で

黄色く

可憐な福寿草が

咲いているのを

見つけたのです。


春を告げる

縁起の良い花として

知られる福寿草なら、

きっと

入院中のお母さんも

喜んでくれるはず。


「それだな!」と

私も即座に賛同しました。


「福寿草」の説明はこちら


準備と出発

福寿草がくれた幸せなもの


後日、

私たちは

準備を整えました。

ナップサックに

小型スコップと

袋を入れ、

マキの家にある

大人用自転車を借りて

出発です。

この自転車は、

以前

山ワサビを取りに

行った時に使った

思い出の自転車でした。


小学生には

大きすぎる

大人用自転車を

乗りこなすには、

ちょっとした工夫と

乗り方がありました。



それが

「三角二人乗り」です。



どの様に乗ったか

思い出せないのですが、

記憶では

二人で右左に別れ

ペダルをこいだ

記憶があります、

息を合わせると、

小学生にとっては

まるで

スポーツカーの

ようなスピード感

でした

(もちろん、

今も昔も道路交通法

違反ですが)。


無事に

福寿草の咲く場所に

到着し、

丁寧に根っこから

掘り出して

持ち帰りました。



春の息吹を

感じさせる黄金色の花は、

私たちの心まで

明るくしてくれる

ようでした。


病院でのお見舞い

福寿草がくれた幸せなもの


翌日、

シゲに聞いた病室番号を

頼りに日赤病院へ

向かいました。

少し緊張しながら

病室のドアを

ノックします。


「お見舞いに来ました」

「これ、福寿草です」

福寿草を差し出すと、

シゲのお母さんは

本当に嬉しそうな

表情を浮かべて

くれました。

「本当にありがとう。

こんな素敵な花を…」


思わぬ展開


すると、

周りの

入院患者さんたちが

興味津々で

のぞき込んできました。

「どこで取ったの?」

「○○です」

「私も欲しいわ。

まだ取れる?」

私とマキは顔を

見合わせました。

「…あるよな」

「まだあったよな」

「いいですよ!」

こうして、

合計3名の

患者さんから

福寿草のリクエストを

いただくことに

なりました。



帰りぎわ、

シゲのお母さんから

「はい、ありがとうね」

とお小遣いをいただき、

私たちは

駄菓子屋さんに直行。

予期せぬ幸せに

心が弾みました。


二度目の採集


次の週末、

小学生スポーツカー

(三角二人乗り自転車)で

再び福寿草を取りに

出発しました。



今度は3

つ採集するという

明確な目標があります。

慎重に、

でも楽しみながら

福寿草を掘り出し、

無事に

3つ採集することが

できました。



そのまま

病院に直行し、

約束通り

患者さんたちに

福寿草をお届けします。


皆さん、

本当に

喜んでくださいました。

そして、

またお小遣いを

いただいて

しまいました。



帰り道、

マキと私は

ルンルン気分で

駄菓子屋さんに

再び直行したのは

言うまでもありません。


福寿草がくれた幸せ

予期していなかった喜び


「福寿草」がくれた

お小遣い。

それは

私たちが全く

予期していなかった

幸せでした。


よく「一日一善」と

言いますが、

私たちの行動は

まさに

これに当たるのでは

ないでしょうか。



いつも

お世話になっている

シゲのお母さんへの

感謝の気持ちから

始まった

小さなお見舞い。




それが、

入院中の

患者さんたちに

笑顔をもたらし、

私たち自身にも

小さな幸せを

運んでくれたのです。


純粋な気持ちの大切さ


振り返ってみると、

私たちは最初から

お小遣いを

期待していたわけでは

ありませんでした。

ただ、

お世話になった人に

喜んでもらいたい、

元気になって

ほしいという

純粋な気持ちだけで

行動していました。


その純粋な気持ちが、

結果として

自分たちにも

幸せを運んでくれた。

これこそが、

人に

親切にすることの

本当の意味なのかも

しれません。


思い出の力


小学校時代の

ホッコリする思い出が、

今でも

鮮明に蘇ってきます。



春の陽気、

福寿草の黄色、

患者さんたちの笑顔、

駄菓子屋さんの

懐かしい匂い。

すべてが

昨日のことのように

思い出されます。


皆さんにも、

きっとそんな

ホッコリする

思い出があるのでは

ないでしょうか。


日常の

忙しさに追われていると、

そうした

大切な思い出は

心の奥底に

眠ってしまい

がちです。

でも、

時々立ち止まって、

子どもの頃の

純粋な気持ちや

温かい記憶を

思い出してみる。



そして少しの間、

その幸せに浸ってみる。


そんな時間も、

現代を生きる

私たちには

必要なのかも

しれません。


小さな善意が生む循環


福寿草のエピソードが

教えてくれたのは、

小さな善意が

人から人へと

広がって

いくということでした。

私たちの

小さな行動が、

複数の患者さんたちを

笑顔にし、

それがまた私たちに

返ってくる。


こうした

「善意の循環」は、

きっと今の時代にも

必要なものです。



SNSやデジタル技術が

発達した現代だからこそ、

顔と顔を合わせた

温かい交流や、

目に見える形での

思いやりが、

より一層

価値を持つのかも

しれません。


まとめ:幸せは身近なところに

幸せは身近なところに


福寿草がくれた幸せは、

決して大きなものでは

ありませんでした。

駄菓子屋さんで

買えるお菓子程度の、

ささやかなもの。


でも、

その小さな幸せは、

お金では買えない

大切な経験と

温かい記憶として、

今でも私の心に

残っています。


幸せは、

実は特別な場所に

あるのではなく、

日常の中の

小さな善意や

思いやりの中に

隠れているのかも

しれません。


皆さんも、

ぜひご自身の心の中に

眠っている

温かい思い出を

掘り起こして

みてください。



そして、

その記憶に浸りながら、

小さな幸せを

噛みしめる時間を

持ってみては

いかがでしょうか。

きっと、

忙しい日常の中で

忘れかけていた

大切なものを、

再発見できるはずです。




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