
はじめに:「生きている」という奇跡を見つめ直す
日々の生活に
追われるとき、
私たちはどれほど
「生きていること」
そのものを
意識しているでしょうか。
朝起きて、
仕事に向かい、
食事をして、
眠りにつく。
そんな
当たり前の日常が、
実はどれほど
尊いものなのか――
それを
深く実感する機会は、
人生において
そう多くはありません。
私が父の看取りを
経験したのは、
数年前の冬でした。
病室で
父の手を握りながら、
その体温が
徐々に冷たくなっていく瞬間、
私は初めて「命の温度」
というものを
肌で感じました。
そして同時に、
これまで当たり前だと
思っていた日常が、
どれほど
かけがえのないものだったかを
痛感したのです。
この記事では、
父との最期の日々を
通して学んだ
「生きていること」の意味、
そして命と向き合う
時間の尊さについて
綴っていきます。
看取り体験は決して
悲しみだけではなく、
愛と感謝、
そして生きることへの
深い気づきに満ちた
時間でもありました。
第一章:日常の中で見過ごされる「生きている」という実感
忙しさに埋もれる日々と失われた感覚
現代社会は
驚くほど忙しく、
私たちは常に
何かに追われています。
スマートフォンの通知音、
メールの返信、
締め切りに
間に合わせるための
残業。
目まぐるしく
変わる情報社会の中で、
私たちは「今ここにいる」
という感覚を失いがちです。
朝目覚めたとき、
「今日も生きている」
と感謝する人は
どれほどいるでしょうか。
おそらく多くの人は、
目覚ましのアラームに
起こされ、
慌ただしく
支度をして
一日を
スタートさせているはずです。
そこには
「生きていることへの
実感」は
ほとんどありません。
私自身も、
父が病に倒れるまでは、
そんな日常を疑うことなく
過ごしていました。
実家を離れて暮らし、
仕事に忙殺される毎日。
父との電話は
週に1度か2度程度で、
それも
「元気にしているか」を
確認する程度の
短い会話でした。
当たり前だった父の存在
母を亡くしてからは、
父は
1人暮らしをしていました。
週に2回ヘルパーさんに
来てもらい、
自立した生活を
送っていた父。
その姿を見て、
私は
「まだまだ大丈夫だろう」と
安心していました。
電話をすると、
いつも元気な声で
「大丈夫だよ」と
答える父。
その声が聞けることが
当たり前になっていて、
私はその日常が
永遠に続くかのように
錯覚していたのです。
人は誰しも、
大切なものを失って
初めてその価値に
気づくと言います。
それは真実です。
私は父の
看取りを通して、
日常の中にある
「生きていること」の
尊さを遅すぎるほど
遅くになって、
知ることになりました。
第二章:父の体調変化と入院―突然訪れた現実

違和感を感じた電話
ある日の夕方、
いつものように
父から電話が
かかってきました。
しかし、
その日の父の声は、
どこか違っていました。
「調子が悪いので、
明日病院に行こうと
思っている」
「大丈夫なの?
どこか痛むの?」
「いや、なんとなく
体が重いんだ。
まずは
診てもらおうと思う」
電話の向こうの
父の声は、
いつもより少し
弱々しく、
どこか疲れているように
聞こえました。
私は心の中で
小さな不安を
感じながらも、
「きっと疲れている
だけだろう」と
自分に言い聞かせました。
しかし、
その違和感は
的中することになります。
隣人からの連絡と緊急入院
翌日の午後、
私の携帯電話が鳴りました。
それは父ではなく、
父の隣に住む
ご近所さんからでした。
「お父さんが入院したよ、
必要なものは
家から運んだから」
「すみません」
実家はお風呂がないので、
お隣さんがお風呂に呼んでくれる仲。
「明日行きます」
「お世話になりました」
翌日病院に到着すると、
父はベッドに
横たわっていました。
「大丈夫か」
「検査入院だ」
「明日また来るよ」
と別れました。
医師からの告知:「肺腺がん」という診断
数日後、
担当医から
呼び出されました。
個室に通され、
医師は静かに、
しかし
明確にこう告げました。
「お父様は
肺腺がんです。
すでにステージが
進行しており、
治療は困難な
状況です。
余命は……
おそらく年内、
もって12月だと
思います」
その言葉は、
まるで
鉛のように重く、
私の心に
沈み込みました。
頭では
理解しているつもりでも、
心がその現実を
受け入れることを
拒んでいました。
「本人への告知は
どうされますか?」
医師の問いに、
私は少し考えてから
答えました。
「告知はしないでください。
父には、
穏やかに過ごして
ほしいんです」
それが
正しい選択だったのかは、
今でもわかりません。
ただ、
父には最期まで
希望を持って
生きてほしいと
願ったのです。
第三章:病室での日々と「命の温度」を感じた時間
大部屋での父の様子
検査入院が終わり、
父は一般病棟の
大部屋に移りました。
そこには
3人の患者さんがいて、
それぞれが病と
闘っていました。
「ここの人たちは、
がん患者が多いみたいだな」
ある日、
父がぽつりと
そう言いました。
私は返答に困り、
曖昧に頷くだけでした。
父は自分の病気について、
どこまで
理解していたのでしょうか。
それとも、
何も知らないふりをして、
私を気遣って
くれていたのでしょうか。
何気ない日常会話の重み
病室を訪れるたび、
私は父に
好物を持っていきました。
お寿司、
鮭とば、
父が好きだった
季節の果物。
「お寿司買ってきたから
食べて」
「おお、ありがとう。
美味そうだな」
「鮭とばも買ってきたよ」
「退院したら、
また一緒に釣りに行くか」
「うん、そうだな」
何気ない会話。
日常的なやり取り。
しかし今思えば、
その一つひとつが
宝物のように
輝いて見えます。
私たちはどうしても、
人との会話を
「また次がある」と
いう前提で交わします。
しかし、
すべての会話が
「最後かもしれない」と
思えたら、
言葉の重みは
まったく違うものに
なるでしょう。
食べることと生きること
父は食べることが
好きな人でした。
特にお寿司は大好物で、
退院したら回転寿司に
行こうと
よく話していました。
病状が進むにつれ、
父の食欲は徐々に
落ちていきました。
それでも、
私が持っていった
お寿司を
1つ、2つと
口に運ぶ姿を見るたび、
「まだ大丈夫だ」と
自分に言い聞かせました。
食べるという行為は、
生きること
そのものです。
口に食べ物を運び、
噛み砕き、
飲み込む。
その単純な行為が、
どれほど生命力に
満ちたものかを、
私は父の姿を通して
学びました。
第四章:不思議な光の現象と命を感じる瞬間

写真に写り込んだ光の球体
12月を迎える頃、
父の体力は
目に見えて
衰えていきました。
鎮痛剤の量も増え、
眠っている時間が
長くなりました。
それでも、
私が訪れると目を開け、
微笑んでくれる父。
ある日、
記念に
写真を撮ろうと思い、
スマートフォンの
カメラを向けました。
シャッターを切った瞬間、
強烈な閃光が
目に飛び込んできました。
「今、何か光らなかった?」
「いや、何もないぞ」
父は不思議そうな顔で
答えました。
もう一度シャッターを押すと、
再びあの強い光が
現れました。
その場では気にせず、
後で写真を確認すると――
そこには、
父の顔の周囲に
無数の光の球体が
写り込んでいました。
いわゆる「オーブ」と
呼ばれる現象です。
オーブ現象とスピリチュアルな解釈
オーブとは何でしょうか。
科学的には、
カメラのフラッシュが
空気中の
ほこりや水蒸気に
反射して
写り込んだものと
説明されます。
しかし、
スピリチュアルな
観点では、
魂や霊的な存在が
映り込んだものとも
言われています。
私は
特別スピリチュアルな
人間ではありません。
しかし、
あの時の写真を見たとき、
何か説明のつかない
感覚に包まれました。
あの光の粒は、
まるで父の周りを
守っているように
見えました。
あるいは、
父を迎えに来た
誰かの存在を
示しているようにも
感じられました。
「今を大切にしなさい」というメッセージ
その写真を
見つめながら、
私は強く感じました。
これは何かの
メッセージではないかと。
「今のうちに、
伝えるべき言葉があるのではないか」
「今のうちに、
聞いておくべきことが
あるのではないか」
「今のうちに、
一緒に過ごす時間を
大切にしなさい」
あの光は、
そう語りかけているように
思えました。
真偽はわかりません。
ただ、
あの写真を見てから、
私は病室に通う
頻度を増やし、
父との時間を
より大切にするように
なりました。
第五章:最期の会話と父の旅立ち

「お寿司を一つでいいから」
年が明けて
1月に入った頃、
父の容態は急速に
悪化しました。
痛みが強くなり、
モルヒネの量も
増えていきました。
意識が朦朧とする
時間が増え、
会話もままならない日が
続きました。
ある日の午後、
珍しく
父が目を覚まし、
私にこう言いました。
「お寿司を
買ってきてくれないか。
一つでいいから」
その言葉を聞いて、
私は心の中で何かが
引っかかりました。
まるで何かを
予感しているような、
父の静かな声。
「わかった。
明日、
絶対に買ってくるね」
「ああ、頼むよ。
じゃあ、明日な」
「また明日ね。おやすみ」
それが父との
最後の会話になりました。
静かな旅立ち

翌日の早朝、
病院から
電話がかかってきました。
「容態が急変しました。
すぐに来てください」
急いで病院に
駆けつけましたが、
父はすでに意識が
ありませんでした。
ベッドの横に座り、
父の手を握りました。
まだ温かい手。
でも、
その温度は徐々に、
確実に
失われていきました。
数時間後、
父は静かに
息を引き取りました。
看護師さんが優しく
布団を整え、
私は父の手を
握り続けながら、
心の中で何度も
「ありがとう」と
繰り返しました。
涙は
自然に溢れましたが、
不思議と悲しみだけでは
ありませんでした。
そこには深い感謝と、
父と過ごした時間への
愛おしさがありました。
お寿司を買えなかった後悔
父が旅立った後、
私はふと思い出しました。
父が最後に頼んだ
お寿司を、
買って
あげられなかったことを。
もし、
あの日すぐに
買いに行っていたら。
もし、
父の最後の願いを
叶えてあげられていたら。
そんな後悔が、
胸を締め付けました。
しかし同時に、
こうも思います。
父はもう、
お寿司を
必要として
いなかったのかもしれない。
あの言葉は、
私に「また明日」と
約束するための、
父なりの
優しさだったのかもしれません。
第六章:看取り体験から学んだ「生きていること」の意味
命の温度という実感
父の手を握っていた時間は、
私にとって人生で最も
「命」を実感した瞬間でした。
温かさがある間は、
そこに命がある。
温度が失われていくとき、
命もまた去っていく。
「命の温度」――
それは単なる
体温のことではありません。
人が生きていることの
証であり、
その人の存在そのものです。
父の手が
冷たくなっていく中で、
私は強く思いました。
生きている間に、
もっとたくさん
話をしておけばよかった。
もっと一緒に
時間を過ごせばよかった。
もっと感謝の言葉を
伝えておけばよかった。
当たり前の日常こそが奇跡
看取り体験を通して、
私は
「当たり前の日常」が
どれほど奇跡的なものかを
知りました。
朝起きて、
「おはよう」と
挨拶を交わすこと。
一緒に食事をすること。
何気ない会話をすること。
そのすべてが、
実は当たり前では
ないのです。
父がいなくなった今、
実家に帰ると
強い喪失感に
襲われます。
誰もいないリビング。
誰も座っていない
父の椅子。
その静けさの中で、
私は父の存在が
どれほど大きかったかを
痛感します。
そして同時に、
今ここにいる自分自身の
命の尊さも感じるのです。
時間の有限性と今を生きること
人の命には
限りがあります。
それは誰もが
知っている事実ですが、
日常の中で
その実感を持って
生きている人は
少ないでしょう。
私自身も、
父の看取りを
経験するまでは、
時間は無限にあると
錯覚していました。
「またいつか」
「そのうち」という言葉で
先延ばしにしてきたことが
たくさんあります。
しかし、
「またいつか」は
来ないかもしれません。
「そのうち」は永遠に
訪れないかもしれません。
だからこそ、
今この瞬間を大切に
生きることが
重要なのです。
第七章:写真に残る記憶と生きている証
機種変更前のフォルダーに残る宝物
父の写真は
今も、
私の古い
スマートフォンの
フォルダーに
大切に保存されています。
機種変更をする際も、
あえてそのデータは移さず、
古い端末に
残したままにしています。
なぜなら、
あの端末を開くという
行為そのものが、
父との時間を
思い出すための
儀式のように
なっているからです。
あのオーブが
写り込んだ写真。
父が微笑んでいる写真。
病室で撮った最後の写真。
それらは単なる
デジタルデータではなく、
父が確かに
生きていた証です。
記憶の中で生き続ける存在
人は二度死ぬと言います。
一度目は肉体が死ぬとき。
二度目は人々の
記憶から消えるとき。
父の肉体は
確かにこの世を
去りました。
しかし、
私の記憶の中で、
父は
今も生き続けています。
コーヒーを飲むとき、
父との会話を
思い出します。
お寿司を食べるとき、
父の笑顔が浮かびます。
海を見るとき、
一緒に釣りに行った
思い出が蘇ります。
記憶という形で、
父は私の中に
確かに存在している。
そしてその記憶を
大切にする限り、
父は決して完全に
死ぬことはないのだと
思います。
写真が語りかける「生きていること」
私が時折、
父の写真を見返すとき、
そこには単なる
過去の記録以上の
ものがあります。
写真の中の父は、
「生きていた証」として、
今も私に
語りかけてきます。
「一日一日を大切に
生きなさい」
「人との出会いを
大切にしなさい」
「感謝の気持ちを
忘れずに」と。
父が旅立ってから、
私は写真を見る
習慣が変わりました。
以前は思い出として
眺めるだけでしたが、
今は写真を通して、
父と対話をするように
なったのです。
第八章:コーヒーと音楽と共に振り返る命の記録

吾亦紅の歌詞が胸に刺さる理由
すぎもとまさとさんの
「吾亦紅」という
歌があります。
多くの人の心を打つ
歌詞で知られています。
「盆の休みに帰れなかった
仕事に名を借りたご無沙汰」
この歌詞を聞くたび、
私の胸は
締め付けられます。
『盆の休みに帰れなかった…』
という歌詞が、
今の私の心に深く響きました。
(引用:すぎもとまさと『吾亦紅』)
吾亦紅の歌詞が胸に刺さる方も
多いのではないでしょうか。
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まさに、
私自身の姿を
歌っているようで、
耳が痛くなるほどです。
父が元気だった頃、
私はどれほど実家に
帰っていたでしょうか。
仕事を理由に、
帰省を先延ばしに
していたことが
何度もありました。
今思えば、
あの時間はもう
取り戻せません。
だからこそ、
この歌は私にとって、
反省と後悔、
そして
感謝が入り混じった
複雑な思いを
呼び起こすのです。
音楽が繋ぐ過去と現在
音楽には
不思議な力があります。
特定の曲を聴くと、
その時の情景や感情が
鮮明に蘇ってきます。
父が入院していた頃、
病室で流れていた
ラジオの音楽。
それらの音楽を聴くたび、
私は父との時間を
追体験します。
そして、
音楽を通して、
過去の父と
現在の私が
繋がっているように
感じるのです。
第九章:出会いは別れの始まりという真理
仏教的世界観:一期一会
「出会いは別れの始まり」
という言葉があります。
仏教では、
すべての出会いは
無常であり、
いつか必ず別れが
訪れると説いています。
この真理は
頭では理解できても、
心で受け入れることは
簡単ではありません。
私たちは、
大切な人との別れを
想像したくないし、
その日が来ることを
信じたくないからです。
しかし、
父の看取りを通して、
私はこの真理の意味を
深く理解しました。
出会いがあるからこそ
別れがあり、
別れがあるからこそ
出会いが尊い。
一期一会の精神で人と向き合う
茶道の世界には
「一期一会」という
言葉があります。
一生に一度の
出会いと心得て、
その瞬間を
大切にするという教えです。
父との最期の会話も、
まさに「一期一会」でした。
あの時が最後になるとは
思っていませんでしたが、
結果としてそうなりました。
もし、
すべての出会いを
「一期一会」として
大切にできたら、
私たちの人生は
どれほど豊かに
なるでしょうか。
家族との何気ない会話、
友人との他愛ないやり取り、
すれ違う人々との短い交流。
そのすべてを
「もう二度と
会えないかもしれない」
という気持ちで
接することができたら、
言葉も態度も
変わってくるはずです。
別れを受け入れることで見える世界
別れは
悲しいものです。
しかし、
別れを
受け入れることで
見える世界もあります。
父が旅立った後、
私は世界の見え方が
変わりました。
街を歩く人々の
1人ひとりに物語があり、
それぞれが
誰かにとって
かけがえのない
存在なのだと
感じるようになりました。
電車で隣に座る
高齢者を見ると、
その人にも家族がいて、
誰かが帰りを
待っているのだろうと
想像します。
公園で遊ぶ親子を見ると、
その幸せな時間が
いつまでも続くようにと
願います。
別れを経験したからこそ、
出会いの尊さがわかる。
喪失を知ったからこそ、
存在の価値がわかる。
それが、
看取り体験が
私に与えてくれた
視点の変化です。
第十章:家族との時間を大切にするということ
高齢化社会における親との関係
日本は超高齢化社会を
迎えています。
多くの人が、
親の介護や看取りを
経験する時代になりました。
しかし、
核家族化が進み、
親と離れて暮らす人が
増えています。
私もその一人でした。
仕事の都合で実家を離れ、
親との物理的な距離が
心の距離にもなっていました。
今の日本社会では、
親との時間を作ることが
難しくなっています。
仕事、
子育て、
自分の生活。
優先すべきことは
山ほどあり、
親との時間は
後回しになりがちです。
後悔しないための選択
「親孝行したい時には
親はなし」
ということわざがあります。
まさにその通りだと、
私は身をもって
実感しました。
父が元気だった頃、
私はもっと実家に
帰るべきでした。
もっと電話を
するべきでした。
もっと
父の話を聞くべきでした。
しかし、
その「べき」は、
父が旅立った後にしか
気づけませんでした。
これは多くの人が
経験する普遍的な
後悔かもしれません。
だからこそ、
この記事を読んで
くださっている方には、
同じ後悔をして
ほしくないのです。
親が元気なうちに、
できるだけ
時間を
作ってほしい。
親の声を
聞いてほしい。
親の話に
耳を傾けてほしい。
小さな行動が大きな意味を持つ
親孝行は
特別なことである
必要はありません。
旅行に連れて行くとか、
高価なプレゼントを
贈るとか、
そういうことだけが
親孝行ではないのです。
週に一度の電話。
月に一度の帰省。
一緒に食事をする時間。
何気ない会話。
そんな小さなことの
積み重ねが、
実は最も大切な
親孝行なのだと思います。
父との最期の日々を
思い返すと、
特別なことは
何もしていませんでした。
ただ病室を訪れ、
父の好きなものを
持っていき、
他愛ない話を
しただけです。
でも、
その何気ない
時間こそが、
今の私にとって
かけがえのない
宝物になっています。
第十一章:「生きていること」を感じる日常の実践

マインドフルネスと今を生きること
「マインドフルネス」
という言葉が
近年注目されています。
これは、
今この瞬間に意識を向け、
あるがままを受け入れる
心の持ち方です。
父の看取りを経験してから、
私は自然と
マインドフルネスを
実践するようになりました。
コーヒーを飲むときは、
その香りと味に集中する。
歩くときは、
足の裏が
地面に触れる感覚に
意識を向ける。
これらは些細なことですが、
「今ここにいること」を
実感させてくれます。
そして、
生きていることの尊さを
思い出させてくれます。
感謝の習慣化
看取り体験以降、
私は毎日寝る前に
「今日一日に感謝する」時間を
持つようになりました。
今日も無事に過ごせたこと。
健康であること
hoteiのcoffeebreak
ひと時の休憩に、
大切なことを思い出させてくれる時間を。
